『近くに住む人たちにも貢献できるようなショールームをつくりたいんだけど。』
あっとリフォームの喜岡さんからの最初の要望でした。
この一言が喜岡さんの地元に対する愛情が伝わってくるエピソードです。
自分本意ではなく周りの人の事を考えること、道徳の時間のような言葉で文章に書くと当たり前のようですが
なかなか自分ごとで行動することはできません。
ましてや、クライアントである喜岡さんにとっては、初めての念願のショールームです。
そこには自分本意の夢や要望もいっぱいあるでしょう。
僕たちは、『喜岡さん自身のショールームにかける夢や希望を引き出そう。』
そんな前のめりな心境で打ち合わせに向かっていたので、とてもビックリしました。
自分本意でビジネスを考えないこと、それが回りまわって自分の会社にも還元される、経営の根本に触れた気がしました。
目地が「笑う」、継ぎ目が「笑う」という言葉も、建築の世界ではよく使われる。 目地がゆるみ、継ぎ目が広がったという意味だ。
「笑う」のは悪いことだろうか。不合理なことだろうか。
地震などで力が急に加わったとき、目地は「笑う」。
長年、風や雨に晒されてきたとき、継ぎ目は「笑う」。
「笑う」のは建物が生きているからだ。
(中略)
建物と建物のすきまや道路も目地であり、継ぎ目である。
街が生きている限り、街の目地も継ぎ目も、
いつもどこかしら「笑って」いて、どこかしら緊張している。
街のなかで、もしも子供たちが遊べないとしたら、街の目地や継ぎ目はいつも緊張しているのだ。 緊張しているのは、時間と場所のすきまがないためだ。 どこかしら「笑い」、どこかしら緊張しているのは、建物も街も都市も生きている組織だからである。 使い、使われてきた組織だからである。 目地やすきまや継ぎ目によって、結びつき、繋がり、組み合わされ、活動している組織だからである。
建物も街も都市も、緊張したままでは疲労する。
建物は、少し微笑んでいるくらいがいい。
街は、少しほころんでいるくらいがいい。
都市は、少し笑っているくらいがいい。
物と物とを結ぶ目地や継ぎ目が「笑う」ためにあるように、
建物にも街にも都市にも
小さな場を、「笑う」ために。
<建築はほほえむ 松山 巌>
こちらの詩は松山さんの建築はほほえむという詩です。
優しい眼差しで町や家、そして人について語ってくれています。
気になる方は是非、一度手にとってみて読んでみてください。
『ショールームはほほえむ、そうこんな感じがしっくりきます。』 僕たちは、これからの地元に根ざしたショールームをつくっていきます。